自分。 [ココロ]
ときどき、自分が自覚できる自分というのは実は自分ではなくて、
自分を認識してもらった相手に移った像こそ自分なのだと考えることがあります。
そういえば、ずいぶん昔から似たようなことを考えるきらいはありました。
コドモの頃、うちにあった三面鏡でた~くさんの自分の像をつくりだして、
もしかしたらそのたくさんのなかで、
ワタシの動きと違う動きをするヤツがどこかにいるのではないか、
そんなコトを考えて、フェイクをいれながら
三面鏡の前でいろんなポーズをよくとっていました(^^;。
あ 話が早くもちょっとズレてしまいました。
話をもとに戻しましょう。
自分で自分のカラダに触れてみたとき、確かに自分をそこに感じるので、
やっぱりこの自分が今触れたものこそ自分なのだと思うこともありますが、
自分で感じた自分というのはやはりその存在感は薄くって…。
自分の存在の認識はひとに写って初めて強く感じられるものとなるわけでして。
なのでやっぱりワタシはアナタの中にこそあるという気がするのです。
ということは、
ひっくり返して考えてみますと、
あるときにはワタシの中にアナタがあるのだということになるわけでして。
ワタシはアナタそのものではないです。それは明らかです。
でも、ある瞬間、ワタシというよくわからないものがアナタを認識したとき、
アナタがワタシの中にあるということになるのです。
けれど、あるときにアナタの気持ちを理解できるときがあります。
理解できたことを感じるとき、やはりワタシはワタシ自身を認識できます。
やっぱりワタシはワタシなのかも。
でも同時に、そのときワタシはアナタになるのかもしれません。
ワタシがワタシであって同時にアナタである瞬間…。
アナタにもワタシの気持ちがわかってくれるときはあるのですから、
そのときはアナタがアナタであると同時にワタシである瞬間なのかもしれません。
誰かが言ってました。
「ひとはしぬとおおきなまるになるのだな」
そういうことなんだな、そうおもいました。
しななくても、まるかもしれない。
まるじゃなくても、なんかつながってるものなんだな。
そう思ったのでした。
読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
人はみんな
つながっている
そういうことなのですね♪
by hunter (2008-01-14 23:44)
★hunterさん
はい(^^)。
そういうことだとおもいます。
ようやくそれが実感できるようになったようです。
コメント、ありがとうございます(^^)。
by まほうびん (2008-01-15 23:25)
ワタシの中のアナタ。
アナタの中のワタシ。こそが、
幼いころに遊んだ
三面鏡に映る違う動きをするかもしれない自分なのかも。
なんて思いました。
私も、三面鏡でそんな風に遊んだので(^^)
by blue (2008-01-16 11:38)
初めて自分の声をテープで聞いた時、自分でも納得出来なかった
覚えがあります。「こんな声~?こんな話し方~?」
動画を見たときも同じ(笑
「変な動きしてるし~。」
その点、芸能人は心得てますよね。プロですからねぇ。
☆かなりずれたコメントでごめんなさい。
まぁ…要するに、表も裏もひっくるめたのが、1個の自分なんでしょうね。
これには慣れがいりますよ。
by yann (2008-01-16 18:14)
★blueさん
うん(^^)。キレイにまとめてもらったカンジでうれしいです(^^)。
あ やっぱり三面鏡でそーやって遊んだ?(^^)
by まほうびん (2008-01-17 23:53)
★yannさん
いまでも、自分の声、自分で聞くとヘンに思えます。
ケータイで話してると時々、自分で自分が話した声を
遅れて聞けることがあります。
そのときはもンのすごい違和感です。
by まほうびん (2008-01-17 23:55)