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ごあいさつ。

 おかげさまをもちまして、なんとか100本、ブログを書かせていただくことができました。
100本のブログに、ごあいさつやバトンを含めて合計108本。
はからずもとてもキリのいいカタチになりました(^^)。
(おおみそかではありませんが。)
 
 というわけで
「まほうびんのブログ」~ココロ中心バージョン は
ここでひとくぎりとさせていただきます。
 
 このブログを通じてお知り合いになれたみなさまには
あらためて心から感謝いたします。
ホントにありがとうございました。
 
 ただ、今後も不定期ではありますが、
こちらのブログは続けていく所存です。
仲良くさせていただいたみなさんのトコにも
今までと同じようにおじゃまもさせていただきます。
 
 とりあえず ごあいさつまで(^^)。
 
 
 
 
 
 
 


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自分。 [ココロ]

 
 ときどき、自分が自覚できる自分というのは実は自分ではなくて、
自分を認識してもらった相手に移った像こそ自分なのだと考えることがあります。

  
 そういえば、ずいぶん昔から似たようなことを考えるきらいはありました。
コドモの頃、うちにあった三面鏡でた~くさんの自分の像をつくりだして、
もしかしたらそのたくさんのなかで、
ワタシの動きと違う動きをするヤツがどこかにいるのではないか、
そんなコトを考えて、フェイクをいれながら
三面鏡の前でいろんなポーズをよくとっていました(^^;。
  
 あ 話が早くもちょっとズレてしまいました。
話をもとに戻しましょう。
 
  
 自分で自分のカラダに触れてみたとき、確かに自分をそこに感じるので、
やっぱりこの自分が今触れたものこそ自分なのだと思うこともありますが、
自分で感じた自分というのはやはりその存在感は薄くって…。
自分の存在の認識はひとに写って初めて強く感じられるものとなるわけでして。
  
 なのでやっぱりワタシはアナタの中にこそあるという気がするのです。

  
 ということは、
ひっくり返して考えてみますと、
 
 あるときにはワタシの中にアナタがあるのだということになるわけでして。
 
  
 ワタシはアナタそのものではないです。それは明らかです。
でも、ある瞬間、ワタシというよくわからないものがアナタを認識したとき、
アナタがワタシの中にあるということになるのです。
 
 けれど、あるときにアナタの気持ちを理解できるときがあります。
理解できたことを感じるとき、やはりワタシはワタシ自身を認識できます。
やっぱりワタシはワタシなのかも。
でも同時に、そのときワタシはアナタになるのかもしれません。
ワタシがワタシであって同時にアナタである瞬間…。
アナタにもワタシの気持ちがわかってくれるときはあるのですから、
そのときはアナタがアナタであると同時にワタシである瞬間なのかもしれません。
 
 
 誰かが言ってました。
「ひとはしぬとおおきなまるになるのだな」
そういうことなんだな、そうおもいました。
しななくても、まるかもしれない。
まるじゃなくても、なんかつながってるものなんだな。
そう思ったのでした。 
 
 読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
 


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どぼん。 [ココロ]

 なはは。新年一発目のタイトルとしてはちょっと… ですが。
 
 どぼん…ブラックジャックとかで手持ちのカードが21(最もポイントが高い)を超えてしまって
       手札のポイントがゼロになってしまった状態。

 この「どぼん」があるゲームの感覚、
とても人間っぽくていいなぁと感じる今日この頃です。

 行き過ぎはダメで、
「ほどほどのところで止める」という感覚。
 
 人が生きていくにあたってのベストのポジションというのも、
きっとこの「どぼん」があるゲームの感覚のように、
行き過ぎでないところにそのポジションはあるような気がします。
 
 けれども、
「ほどほどのところ」がベストだとはいっても、
それは怠けてしまってもよいということでは決してなくて。
「ほどほどのところ」とはいっても結局は自分がガンバって
たどり着いた場所なワケなのですから。
このへんの「ほどほどのところ」の定義づけが
またむずかしいのですな。
 
 ただ、ときどき
自分がガンバっても結果が出ないことについて、
能力のある他人があっさりとそれをこなしてしまうのを目の当たりにしたりすると
「ほどほどのところ」について、
それがその人の先天的な能力に応じた場所のようにも思えて
すこし悲しいような気分になったりもします。
 
 たはは。やっぱり新年一発目にはあまりふさわしくなかったですかね(^^ゞ。

 ま、これも「ほどほどのところ」での意気込みってコトでひとつ…。

  
 


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青い傘。 [ココロ]

 青い傘がどこかへいってしまいました。
いい歳したオッサンのセリフではないのですが、
とてもしっくりくる「相思相愛」の傘だったのです。
なのでかなりキツイのです…。
(あ マジでキモチワルイですか(^^; ?)
 
 その青い傘を失くしたことは夢にまで影響しました。
昨夜、最初のくだりのコトバをブログで読んでいる夢をみたのでした。
それはワタシが書いたブログではなかったのですが。
なので今回このブログで使うことにしました。
ある意味「盗作」ですが…(^^ゞ。

 
 今回の青い傘はワタシが今年失ったものの最後なのですけど
(お願いですからそうであってくださいね) 
今年は悲しいことにワタシ個人は
「本当に大切なもの」を
たくさん失ってしまった1年になってしまいました。
「まだ厄年ぢゃないのに?」って思うほどにたくさんのものを。
 
 でも、
いままで、自分でも自分のことを
いわゆる世間知らずというか、甘いと思っていたのですが、
この1年の経験で、
少しは人並みに悲しさとか、苦しさとかを味わえたような気もしていて、
何か安心感に似た変な感情もあったりしてます。
 
 
 来る年がワタシにとってこの今年の経験や教訓を生かせる年でありますように。
 
 ワタシが失ったことでワタシから離れてしまったものが
それぞれの場所でシアワセにすごせますように。
 
 来る年が皆さんにとっていい1年でありますように。


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メリークリスマス、ミスターローレンス。 [ココロ]


 
 クリスマスです(^^)。
今年は、クリスマスというと、どういうわけか、今回のタイトルのセリフが出てきます。
映画「戦場のメリー・クリスマス」のラストシーン。
この映画、ご存じですか?
 
 太平洋戦争中の、敵・味方の関係、日本軍と捕えられた捕虜という関係のなかで生まれた
彼らの「立場」を超えた「彼らの世界」というものが妙に最近ひっかかっています。
 歴史は、戦争という事実、そしてその事実に基づいた敵味方の関係しか刻んでいかない。
けれど、当人たちにとっての「歴史」では、そこにあった敵味方の関係というものは
たぶんさほど重要なことではない…。
 戦争という極限の状態の、敵味方という関係の中で生まれた、「彼らの世界」こそが
確かに存在した世界。
 その周りにあった「戦争」という世界というのは、どういう世界だったのでしょうか。
(誤解しないでくださいね。戦争はなかったなんて言ってるのでは決してないですから。)
 
 
 去年の冬、病院へお見舞いに行った時の出来事をふと思い出しました。
その日はとても寒い日だったのですが、病院に入院している人たちが、
「今日は暑いですね。」そう言ってたのを思い出しました。
病院のエアコンが効きすぎていたようです。
 入院している人たちの世界はその日暑かったということ。
 たいていの人たちにとって、その日は寒かったのだけれど。
 でも「暑かった世界」は確かに存在していたワケで。
 
 世界とか社会とか…。
自分の周りにある、自分の肌に触れている世界とか社会があって、
そして
なんだかよくわからなくなってきたけれど
客観的に存在しているらしい世界とか社会があって…。

 よく分かんなくなってきちゃいました(^^;

 ま、とにかく、
  
 メリークリスマス、ミスターローレンス。
そして、

 皆さんにも メリークリスマス(^^)。


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ダビング。 [ココロ]

 昨日、ウォークマンを買いました。 ↑ コレ。
ワタシの車(ほぼ20年モノ。ワタシが乗って15年。コワ。)に積んであるCDプレーヤー、
カーコンポではないので車の振動で音飛びがスゴくて。
というワケで
ワタシの車の振動に耐えうる音楽機器ということで買ったものです。
 
 今日は日中、自分の持ってるCDをひっぱり出してきて、
お気に入りをかたっぱしからコレに入れました。
 いわゆるダビング。
 「マイベスト」をつくる作業なんて、何十年ぶりのことでしょう。
 当時は、カセットテープでしたのでひとつのテープをつくるのに
そのテープの長さ以上の時間がかかってたんですけど、
今日はけっこうたくさんの曲をダビングしたのに
信じられないくらいの速さで作業終了です(^^)。すごいです。
いまのこの時代にあってのワタシのこの感覚の方が信じられないというハナシもありますが(^^ゞ。
 
 また、今回のダビングは
自分が今までに買ったすべてのCDからお気に入りをピックアップしたもので
当然ナツメロもたくさんあって、
それでもって、それらすべての曲が余裕でコレに入ってしまったので、
できあがった「マイベスト」の感覚は、子供の頃作ってたときの、
「いまの(そのときの)ベスト」というのではなく、
いわば「ワタシの半生」みたいなベストになってしまいました。
曲に写るんですよね。昔の、そのときの自分が。
「オレの生き様見せたる!」みたいな感覚をおぼえて
ちょっとこっ恥ずかしいカンジです(^^ゞ。
 
 ただ、
「マイベスト」に欠かせない(やはり生き様を見せるつもりか)はずの曲なのに
ドーナツ盤の時代に買った曲だとか、
買ってない曲だとか、
買ったはずなんだけどCDがどこかへいっちゃって入れられなかった曲とかが
あることもわかりました。
 いよいよ楽曲ダウンロードデビューですかね。
   
 あとですね、
ワタシ、基本的には「好きな歌」はその歌詞にもかなり重点を置いていて、
英語の歌でも好きになった歌はちゃんと歌詞を調べるんですけど(^^ゞ、
今回この「マイベスト」に入れた曲の中でただ1曲、歌詞をキチンと調べてなかった曲がありました。
今回これを機に歌詞を調べてみて
感動とちょっと詩の内容が悲しい(でもとってもキレイ)のとで
ちょっとウルウルきてしまったという出来事もあったのでした。
 
 温故知新ですね(^^)。
 
 
 今日はホントに何十年ぶりかで一日音楽漬けのイイ一日になりました(^^)。

 
 
 


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あの大爆笑はどこに? [ココロ]


 
 名古屋のセントラルパークギャラリーに現在展示されている
「ミス変換コンテスト」(←確かこんなような名前)の作品のひとつです。
(メールでの変換の際の「オモシロ誤変換」の選りすぐりです。)
このギャラリー、実は先日紹介した「札幌トイレ」の目と鼻の先にあります。
札幌のみなさま、よろしければ一度お立ち寄りください(^^)。
 
 ほかにもワタシ好みの楽しい「ミス変換」がたくさんありました。

 ワタシはこれらを仕事でひとりで移動の途中、はじめてみたのですが、
そのときはワタシにはどの作品もとても面白く、
これを見終わったあとの移動の途中も笑いをこらえるのに必死でした。
 
 とても面白かったので、上のほかにも何枚か作品を撮りました。
 
 
 ところが…
 
 しばらくたって、別の場所でさっき撮ったケータイの写真をみたのですが…

 あれ?
笑えない(^^;。あんなにネタ、おもしろかったのに。
さっきの大爆笑はどこへ…?
 
 
 ところがところが…

 その日の帰り、電車の中でもう一度そのケータイ写真を見ると…
 ぷぷぷ(^^)。お、おもしろい。やっぱりおもしろかったんや。
し、しかし、ここでは笑えん…。
けど顔がニヤついてしまっているのが自分でも分かる…。
 
 
 まったく同じネタでも、その状況でめちゃくちゃ面白かったり、
びっくりするほどつまんなくなったり。
 つまりは、ネタは文字通り「ネタ」にすぎないのだということ、実感しました。
おもしろいか、おもしろくないかの勝負は、
もちろんネタそのものの質の問題は大前提としてあるのですが、
それだけではなく、
そのネタが披露される環境がどうなっているかということがとても大事だということ。
ネタとそのまわりの環境というひとつの世界になってはじめて
その作品の良し悪しを判断する土台みたいなものができる、
つまりは一つの体(てい)をなすのですね。
 
 
 クローンの技術がどんなに発達しても、まったく同じものはつくれない…。
ヒトラーとまったく同じ遺伝子をもった同じ人間をつくりあげても
その人はワタシたちが歴史で学んだ「ヒトラー」にはならないということ…。
 
 
 そういえば、さきの同じネタなのに自分が笑えたり笑えなかったりした原因のひとつに、
自分が大笑いすることがはばかられる環境に身を置いているかどうかということがあることに
改めて気がつきました。
 昔、テレビのバラエティー番組のとあるコーナーでやっていたことなのですが、
口に牛乳をいっぱい含んだ状態で、こういうネタを披露して牛乳をこぼすと罰ゲーム、
みたいなのがありました。
 口に牛乳を含んで、撮った写真、もう一度見てみようかな(^^)。 
 
 


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話に咲く花。 [ココロ]

 
 
 今年は親戚が集まる機会が多く、
昨日も、親戚が実家に集まりました。
父方だけで7人の叔父叔母と2人のイトコ。
よく考えると父は7人兄弟ですので、
父方だけでワタシには12人の叔父叔母がいたことになります(^^;。
お 今も9人健在(^^)。

 さて、今回の集まりでも、以前もお話したのと同じく、
まー、次から次へと話がでてくるわでてくるわ。
これをこちらの方言で言いますと
「しゃべって しゃべって しゃべりっからかす」 となります(^^)。
 話の中身は彼らの子供の頃の
家族の話、近所の家の場所やその家の人のこと。
 もちろんワタシは何も知らないのですが、
その話を楽しく聞かせてもらいました。
 
 不思議です。
冷めた見方をすれば、その話はワタシでない人たちのただの思い出話で、
部外者には「それで?」ということにもなりかねないのですが、
どういうわけか最初から最後まで、その話に本当に楽しく付き合ってしまいました。
話し方の問題なのでしょうか?
 
 そういえば、昔、読書感想文を書くとき、
それを書くことの意義のようなものをいつも疑問に思っていました。
ワタシが感想文を書くことそれ自体は「宿題だから」で割りきれるとしても、
コレ(ワタシの感想文)を誰が読むのだろうか?
誰が何のためにコレを読むのだろうか?
そんなことをいつも考えていました。
 そして、誰かが書いた読書感想文をワタシが読んだときも、
それに対するワタシの感想はただひとつ、「それで?」でした。

 今回感じたのは、
この読書感想文で感じるのとまったく逆の感覚。
話の中身には特に「教え」があるわけではないし、
その話はワタシにしてくれたというのではなく、父の兄弟の中でしている話を
ワタシがそばで聞いているだけ。
でもおもしろかったのですな。これが。
 
 文章や話を面白いと感じるとき、
それらの文章や話のタイプを大きく分けると、
ひとつには、
研ぎ澄まし、そのうえで紡ぎあげた小説のような文章や話という種類のものがあること、
そしてもうひとつには
何気なく発せられるいわば「普通の」コトバというものがあると思います。
 
 昨日の楽しい話を聞いていて気付かされたのは、
ここのところ自分の中では、「面白い話」というときには、
いわば前者の方だけが支配していたということでした。
 そして後者については、
ある程度才能のようなものが必要で、
その才能は自分にはありそうにないな、
そう何気なく思い込んでいていることにも気付いたのでした。
 
 でも面白い話ができないからといって、
それを封印してしまうのもよくないことです。
面白い話をすることよりも、
会話によってその場の空気を和ませること、大事ですもんね。
ははは。自分ひとりで考えて寡黙になってしまうことが多い自分への戒めも含めて(^^;。

 それから面白い話をすることに限らず、
うまくできないからといってそれを封印してしまうのは
よくないし、もったいないとも思ったりします。
たいていの能力って、
使わないと退化してしまうものですから。
 
 そういえば、子供の頃、
キャ~ッ ていう黄色い声、出せてたのに、
いつの間にか
この声、出せなくなっちゃったな(^^)。
 
 今回はいっぱい、いろんなこと、話させていただきました。
読んでくださいましてありがとうございました。

 
 
 
 


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ゴールデンタイム [ココロ]


 
 ワタシ、かなりのテレビ好きです。
週末は、録り貯めしておいた番組を見て過ごすこと、多いです。
録っておく番組はほとんどが深夜番組。
やっぱりオモシロいんですよ。深夜番組って(^^)。

 さて、深夜番組が、その視聴率が上がったりすることで
ゴールデンタイムに進出することが結構あるんですけど、
個人的には、番組の放送時間帯がゴールデンタイムになってしまうと、
その番組はなんかつまんなくなってしまうと感じることが多いです。
 
 「冴え」みたいなモノがなくなってしまうんですよね。

 より高い視聴率をとるためには、いわゆる「大衆ウケ」しないといけないので
番組がなんか「丸く」なってしまうんですね。
 
 たくさんの人に番組を見てほしいといういわば丸みを帯びた部分と、
番組の作り手として伝えたいことといういわばとがった部分のせめぎあい…。

 民法の場合はスポンサーの意向も多分に影響してしまいますよね。
 
 
 似たような現象はテレビCMにもあったりします。
質の高い、キレイなCMだと個人的に思ったCMが
少し時間が経ってから、つまんないCMに作り替えられていること、
結構あります。
その分、CMの中身は確かに分かりやすいものにはなっているんですけど。
 
 う~ん、ってカンジです。


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奇跡の空間。 [通勤電車]

 この写真、名古屋・栄のセントラルパーク地下街のとあるトイレの入り口の看板なのですが、
実はココのトイレはワタシには「秘密の入り口」なのです。
 
 というのは、
ココのトイレに入ると、その間、ワタシは「札幌」にいる気分になるのです。
 
ちゃんと説明しますね。
2年前の夏休みに北海道に旅行に行った時に利用した、
札幌駅の地下街のトイレとココのトイレをどういうわけか錯覚してしまうのです。

 トイレのレイアウトが似てるのでしょうか。

 初めてこのトイレが札幌駅のトイレと雰囲気が似ていると感じたときの感覚は、
このトイレを何度も利用して、
このトイレがワタシに札幌のトイレを感じさせることを知ってしまっている今でさえ、
衰えることなくしっかりとワタシに感覚としてそれを伝えています。
 
 
 もしかしたら、
本当にそのトイレはワタシが入っている時は時空間ごと札幌なのかもしれません。
 そのトイレの入り口はひとつなので
そのトイレを出ればそこは、その出たところはまぎれもなく名古屋であるというだけ。
トイレの中にいた時間そしてその空間が札幌であることを確かめるすべがないだけ…。

 
 いつか、ひょんなことで、そのトイレから札幌駅地下街へとつながる「奇跡の出入口」を
見つけてしまうかもしれません(^^)。


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